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restaurant Nabeno-Ism 支配人 神田 岳志氏に学ぶ”最高の自分になるため”の道標

restaurant Nabeno-Ism 支配人

神田 岳志-TAKASHI KANDA-

Profileプロフィール

1974年東京都生まれ。レストラン「ナベノ-イズム」支配人・ソムリエ。
専門学校を卒業後、都内レストランでキャリアをスタート。2003年「タテルヨシノ」に入社、ソムリエとして従事。汐留店支配人兼ソムリエを経て、2020年7月より現職。WSET Level3/シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ

神田 岳志を紐解くキーワード

最初に〜今回のインタビューを行った背景〜

このサイト名は”以伝心”(以心伝心)。四字熟語の以心伝心から引用しているのだが、その意味は「思うことが言葉によらず、互いの心から心に伝わること」を意味する。このサイトではワインに込められた想いを、ワインを通じて皆様の心に伝えたいという意味を込めている。

我々は、先人たちが築き上げてきた道を継承して”現在”を形成している。この業界に限ったことではないが…”現在”を生きている我々は先人の思いや伝統・技術などを受け継ぎ、新たな知識や進化を加え、未来へと継承していく責任がある。

今回、インタビューを受けてくれた神田氏の経験を共有することは、ワインを好きになってもらいたいという純粋な思いと同時に、未来のソムリエ達へのメッセージになってほしい。神田氏のメッセージが、将来のソムリエ達が未来を切り開く活力・キッカケを与えてくれると思い、それを言葉にして伝えていきたい。

道を切り開くのは自分自身の行動力

restaurant Nabeno-Ism 支配人
神田 岳志氏
当時(一緒に働いていた時)、お互いの印象を覚えていますか
神田 岳志(以下、神田):

もちろん覚えてますよ。20年以上前のことなので記憶が曖昧な部分もありますが…

加藤 雅也(以下、加藤):

当時はお互い20代。共に当時の『ガストロノミー フランセーズ タテルヨシノ』※1でソムリエとして働いていましたね。

神田:

懐かしい…当時はお店もオープンしたばかりで慌ただしかったですし、お互い若く、がむしゃらに働いていたのであまり深く関わることがなかったですね。当時のレストランはバーも併設していたので、どちらかがレストランにいる時は、もう片方はバーにいる。そんな環境は面白くも大変だったので、お互い立場が変わってからの方が話す機会が増えたと思います。おぼろげながら、当時の加藤さんはよく物思いにふけっていた気がします(笑)とても落ち着いているという印象を覚えています。

加藤:

全然そんなことないです(笑)入社して日も浅かったのでプレッシャーと慣れていない環境であたふたしていました。若さゆえ怖いもの知らずだったので、そういったところが落ち着いて見られたのでしょうか…あの頃の神田さんこそ、いつも冷静に淡々と仕事をされていた印象があります。

神田:

当時のレストランは『シェフソムリエが居て、ソムリエがいる』といった状態でもなかったので、私含めみんな必死でしたね。お客様の前では悟られないように、業務中は平常心を装っていたんだと思います。

※1 ガストロノミー フランセーズ タテルヨシノとは…ミシュラン1つ星を獲得したパリのレストラン”ステラマリス”この店でシェフを務めた吉野建氏が、汐留パークホテルに構えたフランス料理レストラン。フランス料理に和のエッセンスを加えた繊細な料理や、吉野建氏が得意としたジビエ料理が絶大なファンを獲得したレストラン。※現在は汐留パークホテル内のレストランは閉店。

現在のお互いの立場をどのように感じますか
神田:

信濃屋に務めて20年程になるのですか??それはすごい事だと思います。昔は『ワイン=信濃屋』という印象が薄かったですが、バイヤーが加藤さんになってからはワインのイメージが強くなったように思います。

加藤:

ありがとうございます。まだまだですが…認知を広げられた実感が湧いて嬉しいです。
私の立場から見た”現在”の神田さんの印象は…昔と変わらず冷静で物腰柔らかい雰囲気は変わらずに感じます。今も緊張感はありますが、当時は冗談も言い合えるような環境でもなかったので、今の方が気を張らずに話せるようになりました(笑)また、当時一緒に働いていた先輩が最前線、なおかつ一流店で働いてくれていることは、私自身のモチベーションも高く維持するためにも大きな存在です。

神田:

そう言っていただけると嬉しいです。当時のレストランは緊張感がありましたからね(笑)確かに、今の方がお互い連絡を取り合うようになりましたね。

なぜソムリエの道へ進んだのですか
神田:

専門学校(日本ソムリエスクール※2)を卒業してからレストランへの道に進みました。ただ、専門学校時代を思い返すと両親には申し訳ない気持ちで一杯ですし、誰にも話したことがないエピソードがあります…

加藤:

とても興味深いですね。是非お聞かせください。

※2 日本ソムリエスクールとは…当時、神戸にあった専門学校。レストランで必要なサービス実習や語学、ワインのことなど幅広い教育が行われており、卒業生は各方面で活躍しています。

神田:

これは本当に誰にも言ったことがないのですが…実は、高校時代から音楽をやっていました。高校卒業後、ソムリエスクールに通う前は、音楽好きと物造り好きが高じて楽器(ギター)を造る専門学校に通っていました。

加藤:

初耳です!?ワインとはかけ離れているように思いますが、どのようにワインの道に進んでいくことになったのでしょうか。

神田:

よくある話かもしれませんが…ギター造りの専門学生時代、接客業のアルバイトをしていた職場があり、そこがあまりに面白くて、親に内緒で学校を中退してアルバイト先に就職してしまったんですよ。その後、両親に大目玉を食うことになりましたが(笑)
そこは様々な業態を展開している企業で、在籍中にレストラン事業を開業することになりました。そこでたまたまレストランに携わることになりました。

加藤:

ここで飲食業界に携わるようになったのですね。当時はゆっくり話す機会が少なかったので、こんなにじっくり話を聞くのは初めてで新鮮です。まだソムリエの道に進んでいませんし、ここまで”ワイン”のキーワードも出てきていませんのでもう一つ質問です。

撮影場所:restaurant Nabeno-Ism(ベノ-ズム)
ワインに興味を持ったキッカケはありますか
神田:

話の続きになりますが、そのレストラン開業時にイタリアンレストランで働かせていただき、当時お酒が得意でない自分が美味しいと思えるお酒(ワイン)に出会えたので衝撃を覚えました。20歳を超えてからもお酒自体があまり得意ではありませんでしたから、そのワインに出会ってからはワインの印象が一新しました。

加藤:

そのワインの銘柄を教えてください。

神田:

サッシカイア※3ですね。当時の仕入れ価格で4,000〜5,000円程度で、当時のイタリアレストランでは最高額のワインでした。サッシカイアに出会ってからワインに傾倒していくことになります。ワインを飲み歩いたり勉強する中で、読んでいた参考書の巻末に日本ソムリエスクールが紹介されているのを発見して”ここに行くしかない”と思い、会社を辞めて専門学校に入学しました。

※3 サッシカイアの詳細はこちら

加藤:

とても面白く興味深い話でした。”人に歴史あり”ですね。一流ソムリエへの道も、キッカケは1本のワインとの出会いだったのを伺い知れました。しかし、イタリアワイン好きがフランス料理に心変わりしたキッカケもあったりするのですか。

神田:

心変わりした訳ではありませんが…(笑)ワインを学ぶ中で、イタリアワイン以外のことも学ぶため日本ソムリエスクール在籍中にアルバイトを学校から紹介してもらいました。そこが神戸のアラン・シャペル※4でした。

※4 アラン・シャペルとは…神戸ポートピアホテルに1981年に「アラン・シャペル」の唯一の支店を出店した老舗フランス料理店。アラン・シャペル氏が36歳の時、当時史上最年少でミシュランの三つ星を獲得したフランスを代表する料理人。現在は閉店。

加藤:

フランス料理の入口が王道フレンチの一流店からですね!?

神田:

若気の至りですね(笑)今思えば、当時たまたま紹介された求人にイタリア料理の募集が無かったのも縁だったのかなと思います。

加藤:

なるほど…そこからRestaurant ”W”(六本木:フランス料理-閉店-)を経て、ナベノ-イズムといった経歴だったんですね。とても面白い話を聞かせていただきました。行動力を持って未来を切り開いていった結果が今に至る訳ですね。

神田:

今思えば、もっと違う方法もあったとは思いますが、レストランソムリエの中でも異色の経歴かもしれませんね(笑)

東京/恵比寿にあるシャトー・レストランジョエル・ロブションで長年エグゼクティブシェフを務めた渡辺雄一郎氏が2016年7月7日東京浅草駒形 隅田川ほとりにて開業したレストラン Nabeno-Ismベノ-ズム。

Nabeno-Ismナベノ-イズムとは、渡辺雄一郎氏のニックネームである「なべシェフ」から取った「ナベノ」と、主義や流儀を表す「イズム」を組み合わせた造語。そして別の意味も込められています。それは、渡辺シェフの恩師である辻静雄校長先生は浅草の地に眠っています。「Nabeno-Ism」の“N”を隠すと「abeno-Ism」となり、辻先生の興された辻調理師専門学校の本拠地である大阪阿倍野を想起させます。

日本の風土に意識を傾けながらフランス料理の本流・定義・伝統を守り、進化させ、独自の感性で楽しく美味しい料理を創り、浅草駒形という土地と融合させてフランス料理の未来を器に描き出します。